第三章 生命をめぐる問題の解
― 序文 ―

生命とは何か、この問題には唯一客観的正解と呼べそうな答えが一応はある。

だが、その答え自体はおそらく、ほとんどの人間にとってあまり重要な意味をもちはしな いだろう。それは、人々が「生命とは何か」という問いかけによって問題にしている「生命」が、多くの場合、厳密には生命の問題ではないからである。


生命という言葉は今現在、一般にも学術的にもほぼ共通した意味合いで広く用いられているが、それらは相容れないはずのいくつかの意味を混在させている。

それは例えば、生命倫理と言われる場合の「生命」と、生命科学が研究対象としている「生命」の違いであり、後者の学術的な「生命」は、いまだ正体不明の研究対象であるが、生命倫理問題の中で「生命の尊厳」という風に語られる「生命」は決して正体不明などではなく、問題視されるだけの明白な何かとして認識されている。

生命をめぐる問題の多くは、このような言葉の混迷によって不鮮明なものとなったまま、多くの誤謬を生み出している。そして、生命とは何かという問いを発している者たち自身、生命の尊厳を掲げている者たち自身、そうした不鮮明な言葉の上に思弁を重ね、自分が何を問題にしているのかが見えていない。


生命とは何かという問題の本質、我々にとって本当に重要な意味を持つ問題は、生命以外の言葉によって語られるべき別の問題であり、それは今まだ、「生命」という言葉の幅の中に埋もれたままである。ここではそれを、「生命とは何か」という問題とは別の、「生命をめぐる問題」として取り上げ、その問題の本質をすべて明らかにしていこう。


とりあえずは学術的な問題には触れず、まず日常的な問題、および生命倫理における「生命」について述べていく。

学術的な問題を複雑にしている要因もここにあると言ってよい。

生命とは何かという問題の解も、おのずと明らかになるだろう。






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