第四章 心とは何か - 神話の終焉そして創造へ

第1部 心と脳 (3)

■ 無意識の意志

ヒトの精神を担うものとして意識と無意識があることは説明するまでも無かろうが、無意識の存在が明確にされたのは、たかだか100年ほど前のことだ。ヒトがこれを本能的に理解しているとは思いがたい。この無意識というものがヒトの主観に反して、どれほど多大な機能を担っていることか。

ヒトの心理がどれほどまでに意識できない事柄で満ち満ちているかを知りたければ、心理学の系譜を覗いてみればすぐにわかるだろう。たったこの100年ほどの間に勃興した「OO心理学」の数々。行動心理学、教育心理学、発達心理学、等々……。こうした心理学のすべてはこの無意識を研究するものだと言ってもいい。意識できていない事柄、わかっていない事柄だからこそ研究対象となる。そしてこの「○○心理学」の数はいまや膨大である。


一説にはヒトが意識できる情報量は、脳内で処理されている情報の100万分の1以下だという説もある。この説に基づけば、ようするにヒトは自分の行為の中身について0.0001%も理解していないということだ。この数字は精確なものではないが、大きく外れてはいないだろう。「分離脳」患者に行われた研究が、この問題に対して驚くべき事実を明らかにしてくれる。


分離脳というのは、てんかん発作を持つ患者に対する治療として、左脳と右脳を結ぶ神経線維束である脳梁を分断された状態の脳のことを指す。視覚において右脳は左視野、左脳は右視野の情報を処理している。また左腕は右脳によって、右腕は左脳によって情報が処理されている。そして脳梁が分断された分離脳の状態では、左脳と右脳のあいだでの情報の行き来が出来なくなってしまう。そこで、この分離脳患者に対して刺激が右脳だけに届くようにし、何かしらの物体を見せるとどうなるか。

言語関連の処理機能はほとんどの人間が左脳にある。そのため、分離脳患者では右脳が得た情報を左脳が知ることが出来ないために、患者は何を見たのかを語ることが出来ない。見えている物の絵をかけと言われればそれは可能だ。だが何が見えているかと質問しても患者は「何も見えない」と言う。けれどもそれを手に取るようにと指示すると、左手はちゃんとそれを手に取ることができてしまう。そしてその患者は自分のその行為を自覚できていない、という症状が引き起こされる。患者は左手が何を手に取ったかを観察して初めて、何が見えていたかという問いにも答えられた。 (1)

(この分離脳患者の研究の衝撃とその成果によって、ロジャー・スペリーはノーベル生理学・医学賞を受賞した。彼はこの分離脳患者たちのことを二つの別々の精神、あるいは、別々の意識が宿る二つの大脳半球を持っているようなものだと述べている。)

また分離脳患者では感情が引き起こされた際にも興味深い現象が起きることが知られている。右脳だけに与えられた刺激によって笑いを生じさせた際に、患者になぜ笑ったのかと質問すると巧妙に理由付けされた間違った答えが返ってくる。例えばヌード写真を見せたことで被験者は笑った。にもかかわらず、笑った理由を質問すると「先生がおかしな質問をするからです」といった答えが返ってくる。不快感をもよおすような刺激が与えられた際に、どうしてそんな表情をするのかと質問すると「いやな記憶を不意に思い出したからです」といった答えを返す。 (2)


また神経学者ガザニガ が分離脳患者に行った別の実験でも驚くべき発見があった。行われたのは、視野の左右に関連性の無い異なる絵を見せ、左右それぞれ見せられた絵と関連性の深い絵を、それぞれの手で複数ある候補の中から選び出すという課題である。


(図を参照)右脳は左側に「雪景色」を見ていて、言語機能がある左脳は右側に「ニワトリの足」を見た。左右の脳はそれぞれ独自に課題をこなす。そして課題の結果、分離脳患者は左手(右脳)でシャベルの絵を指差し、右手(左脳)で「ニワトリ」の絵を指差した。これは完全に理に適っている。

ガザニガはなぜそれを選択したのかを被験者に質問し、その返答の内容に驚愕した。彼は何のためらいも無く質問に答えた。

「簡単です。ニワトリの足はニワトリと関係があるし、鳥小屋を掃除するのにシャベルが必要だからです。」 (3)


これはいったい何事であろうか。

ガザニガはこの事実を受けてある解釈をめぐらせた。患者の左脳は、シャベルに関係した「雪景色」の絵を見ていない。だが、左手がシャベルを指差しているのは見える。考えられる可能性は何か。

ガザニガはこう語る。「左脳の認知システムとしては理屈をつける必要があり、この特定の課題に関して自分が与えられた情報から、筋の通る理論をたちどころに考え出した」 (4)


真実とは違う。記憶は嘘をついている。だがそこには理路整然とした2つの「主観の上での現実世界」が存在する。我々は被験者の頭の中にとてつもなく奇妙な現実があることを垣間見た。だが患者自身にとっての現実では何もおかしな点は無い。患者の意識上にあったエピソードは質問への回答の内容だったのだろう。だがそれは真実とは違う。

こうした一連の反応は、あたかも自分の行為を後から観察して、それに見あった因果的理由を自分自身に信じ込ませているかのようだ。そしてさらに驚くべき点は、行為のあとになってから行為の際に意志が働き、主体的に行為したという記憶までもが創作されているように見えることだ。

これはいったい何事なのか。


分離脳というのはかなり特殊な状態ではあるが、もし、行為の理由であるはずの意志が、行為よりも後になってから記憶に付け足されているのだとしたら、我々の主観的事実に反して、意志が行為を先導したのではないということになる。


果たしてそんなことがあり得るのだろうか。



答えはYESだ。



■ 意識と無意識

人間が無意識のうちにどれほどのことが出来てしまうか、それを理解しておく必要がある。

よく引き合いに出されるのはプロスポーツ選手の身体操作に関する話だ。試合において彼らはとてつもないスピードでの反応を要求される。例えば卓球の場合、ラケットに当たったボールが飛んでくるまでに要す時間が0.2秒(200ミリ秒)ほどしかないことがある。だがそもそも物体を正確に認識するためには100ミリ秒ほど必要であることがわかっており、色の認識だけならばもう少し早く60ミリ秒ほどだが、そうした信号の伝達速度を考えていけば、考える時間など殆ど無いことがわかる。ボールが右にそれているから左足に力を入れて体を右に……―― そんな風にして猛スピードの中でいちいち体の動かし方を意識していたら、対応が間に合わない。
プロスポーツに限らず、我々の日常的な反応はだいたいにおいてそうだろう。会話にしても文章を読むにしても、当人は殆ど意識していない。逆に意識してしまうと、思うようにいかなくなってしまう。例えば「歩く」という単純な動作ですら、右足・左足と意識して歩こうとすれば思うように歩けない。


我々は、「いま・ここに・わたしが居る」というように現在に根を張って、今を確かに生きているように思っているが、これがそもそも妙なことなのだ。情報を処理するにはそれ相応の時間がかかる。

脳損傷の数々の事例で見てきたとおり、脳は並列分散方式による情報処理システムであり、様々な部位がそれぞれ異なる働きを、それぞれのタイミングで行っている。だが我々が一度に意識できる事柄は、エピソードとして物語のようにひと繋がりにされた、ひとつの事柄についてだけだ。そして人間の主観的な意志が登場するのもこのエピソードの上においてである。

こうしたところから脳の結びつけ問題(バインディング問題)と呼ばれる問題が持ち上がってきた。「わたし」はどうやって膨大な量の情報を結びつけているのかという問題だ。だが、脳の中にあるいくつもの情報処理機構のそれぞれが、互いのことを全て分かっているわけではないし、ましてや「わたし」という自我において全ての情報が結びつけられているわけでもない。

「わたし」という自我が個別に処理された情報のすべてを結びつけなくても行動できてしまうからこそ、左手は自覚できない指示に従って、意識上では見えていないはずの物体を手にとることができた。

分離脳患者の症状を踏まえたうえで、もう一度ウィトゲンシュタインの問題を考えてみるといい。

「 『私が腕を上げる』から『私の腕が上がる』を差し引くと何が残るか? 」

彼らの左手を突き動かしたのは誰だったのか。


分離脳患者の症例では、自我はあたかもアイデンティティーを保守することに躍起となっているかのごとく、自分自身を納得させるための物語を創作していた。だがそれは何のためだろうか?

そしてヒトは意識せずともかなり高度な振る舞いが可能であることもわかっている。それなのになぜわざわざ「意識」というものが必要なのだろうか?「意識」は何をしているのか?「意識」を伴わなければ出来ないことがあるのだろうか? だとしたら、それは何だろうか?


一見これらの問いは、解釈の余地を多分に有す深遠な哲学的問題に思えるかもしれない。実際そのように扱われてきた問題群であるし、未だ答えは判明していないとする見解も多い。

だがそれは神秘を守るために知ることを拒んだ者たちの見解だ。


これらの問題の答えはすでに殆どわかっている。



それは、1979年にはじまる一連の実験によって明らかとなった。

意識される時間的因果を伴った物語が、いつ創り出されているか。

この問題の答えが、精神にまつわる謎を紐解く鍵となる。





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