第四章 心とは何か - 神話の終焉そして創造へ

第2部 心の役割 (1)

■ 扉

物事にはすべからく理由がある。意識や自由意志もまた然り。我々が自由なる意志だと思っていても、それは決して自由などではなくて、我々の意識のあずかり知らぬところから導かれているものだ。ベンジャミン・リベットが行った実験は、それを証明してみせた。考えてもみればあまりにも当然の事実であったが、それが万人にとって否定しようのない形で顕在化された。


構造を伴わない機能や因果から解放された事象、それらは相変わらず発見されていない。おそらく万物はすべからく過去を背負い、因果に束縛されているのだろう。だからこそ我々の思考判断そのものに対しても「ラプラスの魔物」が未来を見通す可能性が存在するのであり、現に「行動心理学」なる学問も成立しうる。

未来は確率的にしか予測できないことが判明しているが、過去に関していえば、もしラプラスの魔物であったとしたら、現在の状態からあるべき過去の姿を確定することができてしまうのかもしれない。それはあくまでも推測の域を出ない話だが、何にせよ過去や未来がどの程度の精度で確定されているかという問題は即ち我々の自由度の問題と等しい。

「いかに生き延びるか」という本能的欲求のままに知識を追求し、安全な未来を手に入れるために因果を解明し続けてきた我々人類は、ついに「自分たちがなぜそのような事をしてきたか」という謎をも解明するに至ってしまった。我々に選択の余地はなかったのだ。それがついに自明のものとなった。「価値追求のジレンマ」ここに極まれり。

哲学者のサールは、リベットの実験結果を知って、「もしそうだとしたら、それは宇宙最大の冗談に違いない」と述べたというが、まさしくこの世界は、たちの悪い冗談みたいなものだ。


だから私はあらかじめ述べておいた。真実に迫ることが何を意味するものであるかを。

たとえ知ることへの欲求がもたらすものを理解できたとしても、その性向を止める事は不可能かもしれない。だが好奇心を満たすだけならば別の事柄に意識を向ける方法もあるだろう。

だからもう一度、このメタフィリアの目的を明確にしておこう。


これは世間一般で行われているような、「生きる」ことや「幸福」を得ることを目的としたゲームではない。これは世界と我々自身を縛り付けるルールとの戦いである。


もしも、あなたが参戦する素質を持たず、何の因果かここに迷い込んだ場違いな人間だと思うのならば、ここで見聞きした禁断の物語の記憶が抑圧され忘却されることに望みを託して、この場所を後にすればいい。

痛みに耐える理由を持たないのであれば、真実はただ痛く己の身に突き刺さるだけなのだから。


それを理解できたならば、残された謎解きへと歩を進めるとしよう。





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