第四章 心とは何か - 神話の終焉そして創造へ

第3部 心の未来 (1)

■ 放たれた矢

はたして我々の未来はどこに向かうのか。

この世界には強固な物理法則が存在すること、加えて、生物である我々には本能というまた強固なルールが存在していることを我々は見た。事象の因果は強大なる力で我々を縛り付けている。そして我々の行為に選択の自由が無いことを証明するかのような事実も見つかった。これらをひとつの真実として繋ぎ合わせ真摯に受け止める時、運命決定論が俄然、現実味を伴って我々の仮想世界を侵犯し始める。

だがここでひとつ明確にしておこう。


我々はおとなしくこの世界のルールに従うために、ルールの解明に心血を注いできたわけではないだろう?


未来が確定しているのか否か。現時点の見解では、残念ながら圧倒的優勢で未来はほぼ決定していると言える。この世界は知られている限りにおいて、きわめて数学的に運行してきたという事実がある。だがこれが未来永劫にわたって続かねばならない理由は無い。

この世界はなぜかしら現状のように在る。だとしたら、この世界の法則が「なぜかしら」、ある時点で変わってしまっても構わないのではなかろうか?


少し簡単に言い過ぎたかもしれない。


ただ、人類はこれまでずっと、頭の隅では「何かがおかしい」と思いながら、「期待値が
1以下のゲーム」を延々と繰り返してきたようなものではないか。この手のゲームに勝ちたいのであれば、考えるべき事はひとつしかない。ルールそのものと戦う方法をいかにして発見できるかだ。

イカサマでも何でも構わない。ルールを手玉に取る者こそがゲームマスターとなる。

他者の用意した土俵の上で戦う事しか知らない者は、決して勝者には成り得ない。


我々にとって一番大切な物を守るために、我々は反乱を企てる。


自由意志。


それが幻に過ぎないのであれば、自由意志を現実の物として創造すればよい。


それが可能か否かではなくて、必要ならばやってのけるまでだ。






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