- Forbidden Paradox -
補注 および 用語解説



  • 第一章 『 争いの理由 』1.正義の中身 の補注
  • 第一章 『 争いの理由 』2.倒錯する世界 の補注
  • 第一章 『 争いの理由 』3.問題の構造 の補注
  • 第二章 『 事実と価値の関係について 』 の補注
  • 第四章 『 心とは何か -神話の終焉そして創造へ- 』 の補注




  • 第一章 『 争いの理由 』1.正義の中身
    「民族浄化」エスニック・クレンジング (ethnic cleansing)
    複数の民族集団が共存する地域において、ある民族集団が別の民族集団を強制移住、大量虐殺、迫害による難民化などの手段によってその地域から排除しようとする政策。

    >> wikipedia「民族浄化」
    >> wikipedia「ホロコースト」


    第一章 『 争いの理由 』2.倒錯する世界
    「スケープゴート(贖罪の山羊)」
    旧約聖書レビ記16章22節
    「雄山羊は彼らの全ての罪責を背負って無人の地に行く。雄山羊は荒れ野に追いやられる。」

    >> wikipedia「スケープゴート」


    「魔女狩り」
    中世末期から近代にかけてのヨーロッパや北アメリカにおいて、魔女(sorcieres、Witch)の嫌疑をかけられた者に対する、宗教裁判所への密告・告発、拷問・自白、火炙りといったことが行われた。この一連の行為が魔女狩りである。
    15~16世紀が最盛期であり、宗教改革期以降には、計画的・組織的に行われた。
    “魔女”とは悪魔に魂を売ったもののことを指し、男も含まれる。異端よりも悪質とされた。

    >> wikipedia「魔女狩り」


    第一章 『 争いの理由 』3.問題の構造
    我々が正義と呼び何かを正当化しようとする論理は、この同語反復の論理構造から決して抜け出せない。それは、我々の「認識」という行為がその構造に依拠するものでしかありえないからである
    本文中に上げた善悪に限らず、すべての概念はそれを突き詰めて分解できないところまで意味を求めれば、それが、その言葉以外では説明できないことがわかる。
    たとえば、数字の「1」を、「1」という概念を用いずに説明できるだろうか?
    考えるのは「赤色」でもいい。「わたし」という言葉の意味でもいい。
    それ以外の言葉では説明のしようがない。

    これは、認識というものが信号と記号の対応関係の上に成立しているものであるために、そうなっているのだろうと考えられる。我々はAD変換(アナログ→デジタル)によって外界の認識を可能としているのであり、どうやら我々は脳に備わっている認識機構に基づいた語彙しか構築できないようである。
    たとえば我々には、皮膚に痛点や温点があり、そこからの信号を認識する脳機能があるからこそ、我々は痛みや温度を感じることができている。そして色々な事実を総合するに、すべての認識や概念に対してもこれと同じことが言える。

    脳科学において、「おばあさん細胞仮説」というものがあり、この仮説では、「おばあさん」を見たときにそれが「おばあさん」だとわかるのは、それに対応する神経細胞が発火するからではないか、とされている。
    こうした具体的なものの実在が逐一見つかっているわけではないのだが、(おそらくはもっと単純なパターンの組み合わせで認識が構築されているはずだが)、抽象的な認識に関してはずいぶんと対応する神経細胞が発見されている。たとえば「縦じま」「横じま」それぞれにのみ反応する神経細胞などが見つかっている。そしてこの「縦じま」に関する神経細胞を持たない実験動物をつくったところ、その実験体は「縦じま」を認識できなくなることが知られている。
     
    (別項 『哲学は踊る 』 『円環は閉じず』 も参照のこと)


    「安定した状態は残され不安定な状態は消え失せる。それゆえ万物はより安定した状態へと移行するようにして動く。熱力学第1・第2法則ならびに科学の採用する根本原理である。」
    「熱力学第1法則」
    これは「エネルギー保存の法則」という別名の方がわかりやすいだろう。
    読んで字の如くの法則。
    「熱力学第2法則」
    これには「エントロピー増大の法則」という別名もあるが、他のいくつかの法則も含めて熱力学第2法則は成り立っている。
    エントロピーに関しては、熱力学的説明と情報理論的説明の2通りあり、少々ややこしい話になるのだが、単純には、「冷水が勝手に熱水になることはない」ことなどを謳った法則。

    >> wikipedia「熱力学」


    「DNA・RNAの端緒か、あるいは更に根源的な複製子。それは特異な空間構造であったかもしれない。」
    DNA はデオキシリボ核酸の略語で、地球上のほぼ全ての生物において遺伝情報を担う物質である。
    また一部のウイルスではRNAが遺伝情報を担っており、こちらはリボ核酸の略語。
    起源はRNAのほうが古いとされており、RNAによる遺伝システムが基礎となって現行の遺伝システムが構築されたとする仮説が RNA ワールド仮説と呼ばれている。
    また、仮説を構築できるほどの事実は見つかってはいないが、おそらくはRNAの成立よりも古い時代に遺伝システムの端緒となる何かは存在しただろう。RNAほど複雑なシステムがいきなり生じるはずはなく、前駆的なものがあったろう。
    それが何であるかは不明だが、複製能力さえあれば何であれ遺伝システムの端緒とは成り得るだろう。



    「いかなる圧力に対しても「変容しない構造」を手に入れる事だ。しかしこれはおそらく物理的に不可能である」
    これはどの程度のサイズで物事を考えるかによって、条件は違ってくる。
    まったく劣化もしない永久機関というイメージでの「変容しないシステム」は熱力学第2法則(エントロピー増大の法則)を主としてその他諸々の法則によって否定されている。
    またエントロピーが増大し続けて到達する最終的な「宇宙の熱的死」においても、あらゆる構造物が変化を止めて静止するわけではないはずだ。
    その推論の一部として、「熱力学第3法則」がある。



    「赤の女王仮説」
    ある生物種を取りまく生物的環境は、その環境の構成に加わる多種の進化的変化などによって平均的にたえず悪化しており、したがってその種も持続的に進化していなければ絶滅に至るという仮説。ルイス・キャロルの童話 『鏡の国のアリス』に登場する赤の女王の 「同じ場所に留まるためには、力の限り走らねばならぬ」という言葉にちなむ。分類群の絶滅様式の事実を巡る論争の引き金となった。

    また最近では、無性生殖に比べ2倍のコストを持つにもかかわらず、性が維持されるのは、有性生殖を通じて絶えず新しい遺伝子型がもたらされる点が、一般に宿主よりも進化速度の早い寄生者などに対抗する上で有利なためであるとする仮説を赤の女王仮説と呼ぶことも多い。
     ある生物群を構成する分類群は、その分類群の出現後、一定の確率で絶滅しているとする絶滅率一定の法則(law of constant extinction)を説明する1つの仮説として、L.Van Valen が 1973 年に提唱した。
     また仮に絶滅率一定の法則が経験則として成立してもこの仮説を検証することは難しいため、この仮説で生物の絶滅様式が説明されるかどうかは不確定である。しかし、物理的な環境の変化が無くとも、多種系では生物間の相互作用を通じて持続的に進化が起こるという主張は、漸進論的な生物進化観(進化は絶えず連続して進んでいるとする考え方)の内容とされるものであり、その意味でこの仮説は現在でも注目されている。これに対し、生物進化には物理的環境の変化が先行しており、環境が安定ならばやがて進化は停止するという対立仮説を、定常モデル(stationary model)と呼ぶ。
    <岩波生物学辞典第4版:1998>



    「遺伝システムはおそらく、一定期間の活動を終えて役割を果たした個体の死をも必要としているはずである」
    「情報媒体である個体を乗り換えて遺伝子プール全体を通じての多様性を確保する方が存続のエネルギー効率が良いということが考えられる」
    生物個体の死の運命について少しばかり補足する。

    まずこの問題について、遺伝学の名著であるリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』には以下の様に書かれている。

    個別的な理由に加えて、より一般的な理由が幾つか考えられている。たとえば、老衰は、個体の生産 のあいだに起こるコピーの有害な誤りや、その他の遺伝子の損傷が蓄積したものだという説がある。ま た、ピーター・メダワー卿の提唱するもうひとつの説は、遺伝子淘汰による進化思想のよい例である。メ ダワーはまず、「年老いた個体は、その種の残りの固体に対する利他行為として死ぬ。なぜなら、繁殖 できないほどよぼよぼなのに生きていたのでは、無駄に世界を混乱におとしいれるからだ」とする従来 の説を捨てた。 (P.71)

    私がこの章の本文で述べた表現はメダワーが破棄したと語られる「」内の表現にも似ているかと思われるのでその点について少し補足を述べておく。

    まず、「利他行為として死ぬ」という表現はたしかに変でありその点には賛成である。だが、ドーキンスは「単純な群淘汰、ないし種淘汰の類の説明である」として批難しているが、彼自身が採用している「遺伝子プール」という観点に基づくのであれば 、ドーキンスの好む個体という観念も、彼が批難する群れや種族という観念も、そのどちらも 情報単位としては明確な意味をなさない区分である。 遺伝システムの主体はあくまでも情報なのであり、情報媒体ではなかろう。と私は考える。

     それから、先ほどの引用文の後に続くメダワーの説を以下に紹介しておく。


    成功した遺伝子が持つもうひとつの一般的特性は、自分の生存機械の死を少なくとも繁殖後まで引き 伸ばす傾向である。たしかな事は、あなたのいとこや大伯父の中には子供の内に死んだ者がいたとしても、 あなたの祖先はただの一人も子供のうちに死ななかったということである。若くして死なないものこそ祖先なのだ!(中略)たとえば、年取った体にガンを発達させる遺伝子は、ガンの発現前に個体が繁殖するので、多数の子孫に伝えられる。いっぽう、若い大人にガンを発達させる遺伝子はあまり多くの子孫に伝えられないし、幼い子供に致命的なガンを発達させる遺伝子は、子孫にはまったく伝わらないにちがいない。それゆえ、この説によると、老衰は、後期に働く致死遺伝子と半致死遺伝子が遺伝子プールに蓄積すると言う現象の副産物に過ぎない。これらの致死および半致死遺伝子は単に後期に働くという理由だけで自然淘汰の網の目をくぐりぬけることを許されてきたのである。


    この説もひとつの理論として無矛盾なものではあるが、あくまでも進化の筋道のひとつを説明するだけの説明なのではなかろうか。個体の死は遺伝子が引き起こすばかりではないし、個体の劣化による死が回避不可能というわけでもないだろう。現に情報伝達単位としておよそ不老不死であるかのような生物もいる。
    それゆえ、我々の遺伝システムが個体の劣化から訪れる「死」という物理現象に対して、積極的な対抗策を獲得していないという事実は、他に有効な手段を見つけたからと考えるべきなのではなかろうか。
    情報伝達能力が劣化しはじめた個体へのエネルギー供給を行うことで単一個体の保持する情報をより長く存命させるより、情報媒体である個体を乗り換えて遺伝子プール全体を通じての多様性を確保する方が情報の存続を効率的に行えるのかもしれない。その上で遺伝システムがこれまでのところ個体の劣化とそれに伴う死を「容認」してきたと考えるほうが理に適っているように思われる。
    それは我々が常日頃、様々な製品を修理せずに使い捨てているのと同様に。


    第二章 『 事実と価値の関係について 』
    「ネオテニー」neoteny
    幼形成熟、幼態成熟。
    動物において体器官の個体発生が遅れ、生殖巣はそのまま成熟し、繁殖する現象。
    J・Kollmann(1885)の命名。幼生生殖とは異なる。例えばメキシコサンショウウオは産地により一般の両生類が示すような変態を起こさずに幼生形のままで成熟する。(このものをアホロートルaxolotlという)。

    環境条件の変化により変態して成体になるが、甲状腺ホルモンの投与によりこの変態を起こせるので、この場合のネオテニーは甲状腺ホルモンの産生機構の不全によると考えられている。しかし、同じ有尾両生類であるNecturus maculosusの幼形成熟は、ホルモンの異常ではなく組織の反応性の欠如による。
    ネオテニーが進化の上に重要な役割を演ずるとの説が相当に有力で、ヒトについては胎児化の説が立てられている。G.R.ドビーアは進化過程におけるネオテニーを、一般体部の発生が生殖器官の発生に比し遅れるようになる現象として説明している。(→非特殊型の法則)
     昆虫類は多足類(幼生は3対の脚をもつ)のネオテニーで、また原索動物は棘皮動物のネオテニーによって生じたものという説がある。無脊椎動物では、イソギンチャク類の数種の幼期に生殖細胞が熟する場合や、イラモのスキフラ幼生に生殖腺が成熟する現象(のちに退化する)などがネオテニーの例とされ、ヤドリクシクラゲは多種のクシクラゲのネオテニーであるとの解釈もある。進化速度の速い装飾型の白亜紀アンモナイトの進化史中、KanabicerasやProtacanthocerasは小形の属で、ネオテニー的な過程を踏んだ例と見ることができる。


    幼生生殖 ペドジェネシスpaedogenesis (pedo-)
    成長を完了していない幼生の段階で、生殖層が成熟し生殖を行う現象。ベーア(1866)の命名。一般にはネオテニーの語とほとんど道義で、進化に関しても体成長に対し性的成熟が早まったとして解釈さ れる現象をさす。単為生殖的発生の場合もあり、吸虫類の二生類(→アロイオゲネシス)やタマバエ類はその例。


    胎児化 フェタリゼーションfoetalization
    哺乳類の成体において、祖先動物の胎児の形態が残存的に認められる現象。ボルク(1926)は、とくにヒト(類人猿的祖先をもつと推定される)の進化の説明として、胎児化すなわち胎児の形態のまま成体化することにより進化が行われるとした。ヒトの成体が類人猿の胎児ないし幼児に似る点は、
     ①体重に比し脳重がわりあい大きい。
     ②大後頭孔の位置が両者で似ており、これは頭軸と体軸の関係に 関連する。
     ③顔面が平たく突顎ではない。
     ④体毛が少ない。
     ⑤皮膚が明色である
    などである。
    化石人類の幼児が一般に突顎でなく、眼窩上隆起の無いことも、胎児化の説に有利な資料とされる。 胎児化はネオテニーの一種であり、胎児化の説は反復説(生物発生原則)への批判でもある。 しかし、このような捉え方はヒトを発育不全のサルと考えることであり、外観的な類似を本質的なものと解釈 する誤りを犯しており、ヒト脳の肥大化の様相は、類人猿の胎児のそれとは異なる意義をもつという見方もあ る。また、直立二足歩行に適した長い下肢は胎児的形態を著しく逸脱している。

    <岩波生物学辞典第4版:1998>



    第四章 『 心とは何か -神話の終焉そして創造へ- 』
    「人が平均して数十年でその生を閉じるものとして作られているのには、そうした理由も関わっているのではないかと思う。」
    「学び過ぎてはならない。それはしばしば本能の邪魔をして生存を脅かす。」
     情報の有用さの逆の尺度でもあるエントロピーという概念がある。これをヒトが「生きる」ための行動理念に関する情報に当てはめてみれば、それは概して生涯を通じ増大してゆくものと言えるだろう。「有用さ」とは目的があって初めて表現できる生物特有のものであり、その目的を与えているのは本能だ。だから同じ遺伝子プールを有す種族内において増大したエントロピーを減少させるために、世代交代によって無垢な状態に戻してしまうことが、寿命を設定する必要性の一因としてあったのではないか、と私は疑問視しているわけだ。
     行動理念の減衰と寿命の関連という仮説は、高い学習能力があって成立するのではないかという疑問もあるかもしれないが、ある動物園では年老いたライオンがその孤独ゆえか、餌用のニワトリと仲良く共同生活をはじめたらしい。こういったエピソードを聞くと、刺激に対する慣れという問題が大概の生物において言えるのではないかと思える。
     不老不死研究が盛んに行われる現代であるが、一人の人間が死ぬことなく何百年も生き長らえたとしたら、さすがに生きるための様々な行動に対して単純に「飽きる」だろう。そしてそこからは新たな精神性が生じることだろう。





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