2004 (上半期)

3月 12日

 アングラ系の雑誌である『BURST』4月号に、バングラディッシュの DV(ドメスティックバイオレンス)の現状 レポートが掲載されていた。大きく飾られた写真からは言葉を待たずその実態の凄まじさがうかがえる。
DVは今時珍しくもない用語となってしまったが、バングラディシュの事件はその手段が少々特殊である。誌面 に並んだ被害者女性たちの顔面がどれも焼け爛れたようになっている。その正体は「硫酸」である。この国で は同様の事件が月に数件起きているらしい。被害者の女性たちは事件の傷跡を背負ったまま生きている。
 誰が最初に硫酸という手段を思いついて事に及んだのかわからぬが、加害者となった者達のあいだではも はや心理的抵抗の少ない手段として確立されつつあったのだろう。硫酸は工業ルートで簡単に手に入るらし い。必要は発明の母であるという格言が思い出されてさらに憂鬱な気分にさせられる。おそらくは男性の持つ 権力欲の歪んだ発露であるのだろうが、一体何のつもりで事に及ぶのか。激情に駆られて硫酸を調達に行く わけでもあるまいに。貧窮し過ぎて頭がボケて、単純な情動からくる近親者への怨恨の念が、積もり積もって 事ここに及ぶ。そうした手順を踏むのであろうか。だとすればこれもひとつのカオス的な振る舞いというもので あろう。時には単純すぎて不可解なこともある。複雑化したのは環境だけで人の中身がいまだ変わらぬので あれば、かつては愛情の裏返しだなどと美化され語られていた事件と実体はさほど違わないはずである。
とかくいつの世にもどこの世にも悲惨な事件は枚挙にいとまがない。


 こうした事件の数々と向かい合いそれらを真剣に考えはじめると、人はたいてい加害者への怒りや被害者 への同情心を持たなくなってくる。そこには刺激に対する慣れというのも確かに一部を占めてはいるであろう けれど、それとは別に、自分が語るに値しない事が自ずと理解されるという理由によるところが大きい。 我々は結局、そこに自分を重ね見たときに湧き上がる感情と折り合いをつけようとしているに過ぎないわけ で、そのシミュレーションの理解の先に、当事者と部外者の埋めようがない主観の隔たりが浮かび上がる。
それとは別にもうひとつ、シミュレートを押し進めた先に、加害も被害もそのどちらも自分のうちに巣食う一面 であると理解される。
際限の無い感情移入によって同一化を図るのは危険な妄想であるけれど、自分の人生か他人の人生か、妄 想かそれとも現実か、、、そこに明確な一線を引けるわけじゃない。我々は皆、関係性の中に自分を見出して 生きている。けれどもそこを全面的に肯定して何かを語ろうものならば、自分と自分の語る正義との間に何の 関連も存在しなくなる。そこでは他者との関係性、社会的な繋がりこそが主体となってしまうわけだから、そこ に自己は見る影もなくただ状況ばかりが横たわる。
どこに一線を設けるか、どこに自分を見出すか。それなくして我々は生を見出せない。地を這う虫ケラと我々と の間には何かしら明確な一線が無くては困る。けれどもそれがある限り、我々は決して自己存在の名のもと に他者と正義を分かち合えはしない。

これもひとつのジレンマだ。



それともうひとつ、『BURST』4月号には山口椿氏へのインタビューが掲載されている。氏の著作『死体の博物 誌』とともにお勧めしておきたい。嘘であれ真実であれ絶対に一般受けはしない異端の物語がここにはある。 山口椿 (♂)昭和6年生まれ(現73歳)
 「敗戦直後の地獄の季節に春画、刺青、舞台美術の技法を見よう見真似で体得し、
 フランスでチェロを、イタリアで絵画を、レニングラードではバレエ団の専属画家とし
 て迎えられた。ヨーロッパで「芸術 の天才」として認められるも、帰国後の不遇。
 ビニ本挿絵画家からの再出発。」
 「[性と死]をテーマに活動、60歳から本格的に執筆をはじめこれまでに53冊を上梓。」
(抜粋)




2月 24日

映画『 A.I.』の原作となった、ブライアン・オールディスの『スーパー・トイズ』短編3部作。これを表題として13 篇の物語を収録した文庫の中に『休止ボタン』という作品がある。日本語にして3千字に満たない短編なのだ が、示唆に富んでいて、深く考えさせられる。物語のあらすじはこうだ・・・


とある医師が一人の脳損傷患者の症例から着想を得て、ひとつの装置を考案した。
脳内のわずか0.0001%のアドレナリン上昇にも反応する分子テープによって制御された ナノマシン。それが「休止ボタン」。脳の特定部位に正確に置くと、休止ボタンは以下 の機能を持つ。――我々の脳は、危機的状況においては感情が知性に優先するように、 造られている。怒りは思考を妨げる。脳内に休止ボタンを入れている者は、危機的状況 において休止期間を与えられる。遅延は一時的だが、当人に、自分が何をするつもりな のか考えさせる事ができる。―― この休止ボタンは初め、刑務所のような施設において のみ利用されていたが、効果が認められると次第に世に広められた。特典付きで運転者 への休止ボタン導入を奨励し、それによって交通事故は急速に減少。大衆文化にも広が りを見せ多くの暴力は予防された。ドメスティックバイオレンスの発生は半分以下に。


 穏やかで心地よい幸福感が一般に広まった。もはや我々は、「なぜこんなことをやっ てしまったのか?」とか、「私は何を考えていたんだ?」とかの後悔の念にさいなまれ ることは無い。我々は今、知る機会を得ている。おそらく最も劇的な変化は政治的習慣 の内に生じた。これまで民主主義国では政治家は、多くの場合政治の分野ではほとんど 処しきれない問題を解決するために選ばれていた。そこで政治家達は偽善的な公約を口 にする。任期内に達成できるはずの無い変革を成し遂げようと誓う。その公約をする側 もされる側も、偽りの約束によってなだめすかされる・・・

しかし、いま休止ボタン効果が訪れている! 誰もがじっくり考える時間を与えられ、
その結果我々はいっそう現実的になっている!


 目下の大きな課題は、休止ボタン効果が遺伝で受け継がれるように、いかに遺伝子鎖 に組み入れるかという事だ。もちろん、それによって我々は変わるだろう。今にも崩れ そうな社会は変化するだろう。その後じゅうぶんに進化した人類は、我々が石器時代の 人々を振り返るように、今日を振り返る事だろう。