雑記
【 誰が為に 】


2005.02.08



私がこうして論考を人前に晒すことをはじめてから、およそ2年の月日が経つ。
自分の考えを文章にしたためることを覚えたばかりの頃は、唯やり場のない憤りと焦燥の 捌け口として、文章を書きなぐっていただけだった。一向に晴れることのない悩みのなか で思索が堂々巡りをしていることに気が付いた青年期に、その閉塞感から逃れようとして、 少しでも前に歩を進めようとして、日々の思索を書き連ねていた。文章という手段で思索 を表出すれば、何か光明が見出せるかもしれないと。
けれども私は今、かつての動機となったその憤りも焦燥も、すでに失っている。そしてこ の先そうした感情が蘇ることもないだろう。かつて体験したひとつの出来事が、私をそう させている。


 それは二十歳の頃に体験した出来事だ。その頃の私の日常は、ひとり家に籠もり思索に 耽ることだった。時おり外の世界と接しては、そのたびに憤りを覚える日々。それでもそ の憤りを解消しようとして他者の間違いを非難できるほどには自分の世界像など持ち合わ せていない――私にはそれが苦痛であったから、私は外の世界となるべく関わりを持たな いようにして、その一人の時間の中でずっと自分の言葉を探していた。自分の抱えた憤り を表現する言葉、そしてその憤りの理由を説明する言葉をずっと探し続けていた。そんな 最中での出来事だった。あの体験をもたらしたその日にだけ特別なきっかけがあったわけ ではなかっただろう。それは何の前触れも無く訪れ、私の世界の根底を揺るがしていった。
 初めにあったのは、閃きを得たときのそれに似た、頭の中で閃光が迸るようなその感覚。 けれどもその時感じたものは、いつもの閃きとは決定的に異なるものだった。私が頭の中 に感じたその閃光は、一瞬にしてそれまで渦巻いていた煩悶を薙ぎ払い、外界の音を消し 去り、身体の自由を奪い去っていた。閃光はなおも頭の中で燃え広がり、脳内に充満して 私の意識の全てを飲み込んでゆく。それはパズルが凄まじい速さで組み上がってゆくよう な感覚であり、私は光が満ちるのとともに記憶のすべてがひとつの線で結ばれてゆくのを 感じていた。そして光の奔流がおさまったあとに残されたのは、喩えようのない静寂の世 界だった。その静寂の中で私はいつしか意識を失っていた。
私の心の中を占めていたのは延々と広がる空白の世界。そこにあったのは圧倒的な虚無。 そしてそれは私に何かが終了したことを悟らせていた。
意識を取り戻した私の脳裏に、最初に浮かび上がってきたのはひとつの台詞。
「ああ・・・そういうことか。」
心は動じない。なんの感慨も沸いてはこない。虚ろで静止した世界の中にただ言葉だけが あった。どれくらいの時間その状態にあっただろうか。あの時間の中に留まっていられた ならば世界はどんなに違っていたであろうか。
だがそんな私の心をよそに、外界はしだいに元の姿を取り戻しはじめていた。私の世界を満たし ていた静寂は消え失せてゆき、代わりに外の世界の情報が流れ込んでくる。静寂が完全に 消えて無くなったその時、ようやく私は、此処がどういう場所であるかを五感で感じ取っ ていた。
窓の向こうには陽の光に照らされた建物があり、通りをゆく車の音が聞こえている。
私の居るこの場所は蒸し暑く、床の上には呆然と中空を眺めて座る私が居る。
その私の頬を静かに涙がつたい落ちていた。
ようやく気が付いた・・・そういうことだったのか・・・
その思いが頭の中でいくども繰り返し現れて、頬をつたう涙は止まらなかった。



あのような体験をしたのは後にも先にも無い。そして二度と体験することは無いだろう。
あの体験があって以降、私はときおり世界から時間の流れが消え失せるのを感じることが ある。そしてそんな時にはきまって、ひとつの思いが私の精神を包み込んでゆく。
「この世界には過去も未来も無い 生も死も此処には無い」
それが、あのときの体験によって私が得たものだ。

残念ながら私が何を語ろうとしているのかは伝わらないだろう。だが今はもう、それでも 構わないと思える自分が居る。私が言葉を紡ぐのはもはや憤りや焦燥ゆえではない。此処 に在るのは言葉を終わらせるために紡がれた言葉である。
言葉をひとつ語るたびに、私の中から言葉を語る理由が失せてゆく。
私の世界から時間が消え、そしていつか全ての言葉も消えてなくなるその時に、
私の世界は終わりを告げるだろう。

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