メタフィリア ラボラトリー
matrix
補注
(1)   チャットでなされたウォシャウスキー兄弟へのインタビュー。公式HP参照。 
(2)   ここでは『マトリックス』という表記を、一連の作品すべてを指して用いてゆく。1作目だけを指す場合 は「1作目」と表記する。『』無しの表記は作中で語られるマトリックスと同義、機械を介した神経相互 作用の虚像である。
(3)   タイム誌のインタビューにて。 『マトリックス完全分析』(扶桑社)P.157
(4)   『マトリックスの哲学』(白夜書房)
(5)   モーフィアスは自ら言明していたように、人類をマトリックスから解放してそのザイオンへ誘おうとして いた人物である。そして彼が船長をつとめるネブカドネザル号、それは紀元前6世紀のバビロン王の 名前であり、旧約聖書のダニエル書にはネブカドネザルが自分の見た夢の解釈を臣下に求める姿が 描かれている。彼の名はモーフィアスと同様に「夢」を象徴するものであるが、この王にはもうひとつの 顔がある。かのバビロン捕囚、ユダヤの聖地エルサレムを破壊し、ユダヤの民を約束の土地(ザイオ ン)から連れ出したのがこのネブカドネザルである。
ザイオンの象徴する意味がここで少しばかり倒錯させられているのがわかる。これは皮肉以外の何物 でもないだろう。はたしてユートピアはどこであろうか。

(6)   現実と夢、その価値をめぐる問題を考えるのにしばしば引き合いに出されるのが、 デカルトの『省察』 に代表される懐疑論や、 ジョナサン・ダンシーによる[桶の中の脳]、 ヒラリー・パトナムによる[水槽の中の脳]、 ロバートノージックによる[経験機械]の思考実験である。
(これらはマトリックスの公式HPに ある哲学の項においてクリストファー・グラウがコンパクトにまとめて紹介しているので、そちらをあたっ て見るのがいいだろう。ここで繰り返すのは煩雑になるので避けておく)
ノージックをはじめ、現実の価値を肯定する多くの論者たちが間違いを犯すのが此処に記した点であ る。夢と現実とを区別して現実に価値をおこうとするのは、夢を夢として認識する別の視座に立ってい ればこそなのだ。例えば、サイファーがマトリックスに再接続を果たしたとして、その彼にかつての選 択の是非を問うてみても何にもならない。そこにいるサイファーはすでに判断材料とすべき経験記憶を 失っているのだから。

(7)   この物語が商業作品として成功するためにはこれで良かったのかもしれない。多様な解釈を許容す る、多様な客層のニーズに応えるという点だけをみれば、ミフネのような特攻精神があってもかまわな い。ネオを拝み奉っていた民衆の世界観があっても構わない。ロック司令官のような御役所的な人間 がいても構わないであろう。 だが、覚醒せよというメッセージ、多様な世界観を許容「させる」という点で考えてみるならば、ザイオ ンの正義が倒錯している点はやはりもう少し具体的に描くべきだったのではなかろうか。ウォシャウス キー兄弟が「覚醒せよ」というメッセージに対してどこまで本気だったのかは私には判らない。だが商 業作品として見るのであっても、先に指摘した点が欠如しているがために3作目『レボリューションズ』 の終わり方には「1つのイデオロギーを肯定してハッピーエンド」という陳腐な大衆娯楽作品の匂いが 付きまとってしまう。それは少々好ましからざることではなかろうか。


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