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【 在らざる者達 】



 医学の世界で言われることに、何が健常でどこからが病気なのかなんて言えない、 というのがある。何か一つの機能を取り上げて良し悪しを付けるのだって誰かの都合でしかな いということだ。

身体障害者、精神障害者と呼ばれる人達の中にはまれに、特定のことに異様な才能を示す 者達がいる。例えばサヴァン症候群と呼ばれる者達だ。それは芸術の世界においてよく知ら れている事実だが、それらの人々も基本的に我々と大差無い構造の生物である以上、自分が 普通であると勝手に思い込んでいる、その他の人間にもその様な能力の素因があってもおか しくは無い。が、それが発現していないのはその他大勢の方が病気なのかもしれない。


そういうことだ。

何事にも、本来在るべき姿など無い。基準値は時に平均値と同義である。

近年の科学の発展に伴い、なにかと自然愛護や自然回帰の主張が騒がしくなった。かれらが 何を根拠に声を張り上げているのか知らないが、わけも無く文明を否定するアーミッシュと同じ だろう。古き良き時代を妄想する老人と同じであろう。
最近の若い者は・・云々、昔はああだった、こうだった・・・云々。
そんな老人の戯言は、紀元前の昔から繰り返し言われていたようだ。

困ったものだ。






『 ウィトルウィウス的ウィルス 』

 AC.2002.7.13


 昨日の新聞の一面、「 遺伝子情報からウィルスを合成、米チームが成功 」の大きな見出し がトップを飾っていた。私が読んだのは朝日新聞だけだったので、他の新聞がどういう扱いを していたかは知らない。ネットで調べた結果、朝日の記事が一番情報量が多かったのだが、そ れでも大した文字数は無い。他の新聞では三面扱い程度の文字数であった。  この日の一面に掲載された記事は他に、不正入試疑惑、玉突き事故、公式参拝問題、など である。これらの記事が先のウィルス合成の話と並んで論じられている、私はそこに気味悪さ を感じずにいられなかった。
 科学が日々知識の此岸を押し広げてゆく横で、この数千年のあいだ繰り返されてきた日常 の光景が広がっている。一体これは何を示唆しているのだろうか。情報化社会とは一体、何な のだろうかと。
そう考えるとやはり気味が悪いのだ。だが、そう感じている内はまだまだ青いのだろう。物事の 摂理を知らないからこそ、人は主観を持ち出すのである。何も知らぬのに論じた所でそれは好 き嫌いの問題でしかない。

機械文明と情報化社会の先に、人は何を知り得、何を知り得ぬのだろうか。諸行無常とは言う
なれど、変わり得るものと変われぬものとが存在する。
そうした未来をもう少し考えてみる必要があるだろう。


ウィルスの合成に関して、新聞記事では技術の悪用を危惧する声ばかりを取り上げていたの だが、塩基配列情報だけからウィルスを合成することに成功したというのには、重要な意味が あると私は思う。

人は未だ生命とは何か定義出来ずにいるのだが、それを考えるうえでウィルスの存在は重要 なのだ。今現在の科学はウィルスを生物と無生物の中間にあるものと定義している。それは不 確定ながら、そうした説明しか成立し得ないからなのだが、これは考えてみればおかしなことで ある。有るか無いか、そのどちらでも無いと言っているのである。

科学が知識を培うごとに、人は何かを定義するために用いてきた二元論が真実ではなく盲信 であったと気付かされる。おそらくこの技術が板に付いた頃、脳死問題により顕在化したのと 同じ哲学的問題、二元論の行き詰まりを再認識するであろう。


2002.7.13


『 独り言 』


「ゆく川の流れのままに ついえるか  再度挑戦 頂きに降る」



「散りゆくを明日は我が身と思うても  なになすべきか未だ悟れず」



「さにあらず 刹那の内にヒトは死す  この一瞬も死して過ぎゆく」
2002.7/6


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